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紀元前  金管楽器が出現。現在のトランペットやホルンの原形

奈良時代  役小角(えんのおづの)が修験道を開く。法螺貝の吹奏

1549年  フランシスコ・ザビエルが来日。日本と西洋音楽の接触

1590年  フランスのギョームE.Guillaumeがセルパン(Serpent)と呼ばれる低音域を担当する木製の有孔金管楽器を考案。教会で合唱の補助として使用。セルパンとはフランス語で「蛇」の意味

1789年  フランスのレジボ(J.Regibo)、セルパンの改良型としてラッシャン・バスーン(Russian Bassoon)を考案。ファゴットの形状を採用し、木製で竜頭のベルを持つ

1813〜30年  シュテルツェル(Heinrick Stolzel)(ピストンシリンダー式)、ブリューメル(Friedrick Bluhmel)(ロータリー式)によりヴァルブが完成

1816年  英国ロンドンにおいて、楽器制作者トーマス・ブージー(Thomas Boosey)によりブージー(Boosey)が創設

1821年  フランスのアラリ(Halary)社がオフィクレイド(Ophicleide)と呼ばれる有孔金管楽器の特許を取得

1823年  プロシア(現ドイツ)の楽隊長ヴィープレヒト(Willam Wieprecht)が、テナーバスホルン(Tenorbasshorn)という今日のユーフォニアムに相当する楽器を使用

1825年  フランスのビュッフェ・クランポンBuffet Crampon 社が木管楽器のメーカーとして創業

1833年  英国のジョン・ディスティンJohn Distin (1798-1863)が彼の4人の息子達と、ディスティン・ファミリー5重奏団(Distin Family Quintet)として知られる金管アンサンブルを結成

1835年  イタリアのペリティ(Giuseppe Pelitti, 1811-65)が、ボンバルディーノ(bombardino)と呼ばれるユーフォニアムに相当する楽器を製作

1837年  パリのDanaysが発明したクラヴイコール(clavicor)と呼ばれるテノール音域の金管楽器が、ギシャール(A.G.Guichard)の工場で製作された。ベルが奏者の正面に配置される。E♭管のテナーホルンに相当

1838年  ベルリンのカール・モーリッツ(Carl Wilhelm Moritz)は、より広い音域を担当出来るようにテナーバスホルン(Tenorbasshorn)に4本のバルブを備え、ボアを太くしたテナーテューバ(Tenor Tuba)を製作した
ベッソン(besson)の創始者Gustave Auguste Besson(1820−1874)は1838年頃にフランスのパリに楽器工場を建てた

1842年  ボヘミアの楽器発明家のチェルベニー(Cerveny 1819 - 1896)が楽器メーカーを設立。4名の従業員から始め、1859年には80名になる。1867年までにはロシアが重要な輸出先となる

1842〜45年  ベルギーのサックス(Adolph [Antoine - Joseph] Sax)がサクソルン(Saxhorn)と呼ばれる金管楽器群を考案した。同時代の楽器制作者が改良を進めて製作した楽器を、木管楽器のサクソフォンや弦楽器のヴァイオリン属のように音域順に体系づけた。ソプラノ、コントラルト、テノール、バリトン、バス、コントラバス、ブルドン。この内、バリトン、バス(B♭Basse Saxhorn)が今日のバリトン、ユーフォニアムに相当。3本のピストンバルブを備える

1843年  ヘル(Ferdinand Hell)制作 − ヘルホーン(Hellhorn)
ワイマール(Weimar - ドイツ中部の学術文化都市)のゾマー(Sommer)は、Tenorbasshornをプロトタイプ(原型)として。オイフォニオン(euphonion)を発明した。この名称はギリシャ語のeuphonos(良く響く)に由来し、後にこの名称はイタリアやスペインでeufonioとして現れた

1844年 (弘化元年) チェルベニーがフォニコン(Phonikon)、または、Zvukorohとして知られているd'amoreタイプのベルが付いたユーフォニアムを製作
パリに旅行したディスティン・ファミリーが、サックスの製作した新しい楽器を試し、自分達のアンサンブルに採用した
オランダからコープス使節団が長崎に来航。軍楽隊の演奏

1845年   ジョン・ディスティンがロンドンにディスティン&ソン社(Distin & Sons)を設立。楽譜等の販売を始め、翌年よりサクソルンの代理店となる

1850年頃  ブージー(Boosey)社管楽器の製造を開始

1850年  セルパンのキーシステムの改良形としてバスユーフォニアム(Basseuphonium, Bass-Euphonium)が考案される
ジョン・ディスティンの次男のヘンリー(Henry Distin1819-1903)が店を継ぎ、楽器の製造を開始する

1851年  ベッソン(Besson)社がイギリスのロンドンに工場を建設し、金管楽器の生産を始める
ゾマーの発明がロンドンの博覧会において好評を得る。ゾンメロホーン(Sommerophone)と彼は呼んだが、このような楽器はユーフォニアムと呼ぶ事が一般的になっていた為に、彼の名前を永続させる試みは失敗した。この博覧会において、Brnoのヘル(Ferdinand Hell)によって製作された、ヘルホーン(Hellhorn)も展示された
金管楽器の複合楽器(Duplex)としてフリューゲルホルン/コルネットが始めて英国のバーミンガムで製作される

1853年   チェルベニーがBaroxytonを製作
英国において最初の金管(ブラス)バンドのコンテストがマンチェスターにて開催された。サックスから供給され、輸入された楽器はコルネットも含み全てサックスがデザインした上向きベルの楽器。サクソルンバンドsaxhorn bandと呼ばれた。
米国における楽器編成表においてサクソルンが現れる(Dodworth's Brass Band School)
アメリカのペリー艦隊が来航。軍楽隊の演奏
ロシアのプチャーチン使節団が来日。軍楽隊に低音域を担当する金管楽器。

1854年
アメリカのペリー艦隊が2度目の来航。軍楽隊の演奏

1855年  イタリア、ミラノのペリッティ(Pelitti)がユーフォニウム/バルブトロンボーンの複合楽器(ダブルベルユーフォニアム)を製作

1857年頃  英国のディスティン社がサックスの代理店(フランチャイズ)を失い、カタログからサックスの名称の使用が避けられた。この後ディスティンは上向きベルの楽器について「Euphonion」という名称を対応させた

1858年(安政5年)
日英修好通商条約締結のため、英国エルギン卿が来日。レトリビューション号軍楽隊が演奏。

1859年  米国のP.ギルモア(Patrick Gilmore, 1829-1892)が、ギルモアバンド(Gilmore Band)を設立
英国のアルフレッド・ファーゼー(Alfred Phasey 1834-88)が英国式のユーフォニアムを考案した。ファーゼーはロンドンのユーフォニアム奏者としてオフィクレイドからユーフォニアムに転向

1860年頃  英国の金管(ブラス)バンドにおいては、この頃までにオフィクレイドからバルブの金管楽器に楽器が置き換わる。

1860年  ホークス社(Hawkes)が英国ロンドンに設立される

1860年代  米国にて、肩の上にのせて演奏する、ベルが後ろを向いているSaxhornが使用されていた。南北戦争1861-65年の行軍に使用

1864年  英国陸軍第20連隊第2大隊が横浜に駐屯。軍楽隊の演奏会が行われる

1865年  ホークス&ソン(Hawkes & Son)が創業

1866年(慶応2年)  幕府がフランスの将校から信号ラッパの伝習を始める
英国陸軍第20連隊第2大隊に代わり、第9連隊第2大隊軍楽隊が横浜に駐屯

1868年  ブージー社、ディスティン&ソンを買収。本格的に金管楽器の開発を始める。ディスティンはこの後1874年まで、ディスティン商会(Distin &Co.)と呼ばれて存続
英国陸軍第9連隊第2大隊に代わり、第10連隊第1大隊が1971年まで横浜に駐屯。軍楽隊指揮者はフェントン

1869年(明治2年)  薩摩藩軍楽隊が横浜妙香寺においてフェントン(John William Fenton)を教師として、和製楽器で洋楽の学習を始める。日本の吹奏楽の始まり。フェントンはディスティン商会を仲介として、英国ベッソン社に楽器を発注

1870年(明治3年)  イギリスよりベッソン社製の32名編成用の楽器が薩摩藩軍楽隊に到着、「ユーホネン」「ユーホーニオン」と呼ばれた楽器を担当した当時18才の薩摩藩士、尾崎平次郎惟徳(ただのり)が日本人初のユーフォニアム奏者
Romanzeの作曲者、G.コーズ(Gustav Cords, 1870-1951)がドイツに生まれる
太政官布告により、海軍兵制がイギリス式、陸軍兵制はフランス式に公式決定

1871年(明治4年)  海軍軍楽隊用にロンドンのベッソン社に注文した吹奏楽器2組、64点が横浜港に到着

1872年(明治5年)  フリコルノ・バッソ(flicorno basso)の為にA.ポンキエルリ(Amilcare Ponchielli)が協奏曲「Concerto per flicorno basso」を作曲
軍政の改革により、陸海軍が分離。陸軍軍楽隊、海軍軍楽隊となる。海軍はイギリス式(教官フェントン)、陸軍はフランス式(教官ダグロン)となる

1874年(明治7年)  ブージー社(Boosey & Co.)の設計責任者でイギリスの音響学者ブレイクリー(David J. Blaikley)がコンペンセイティング・システム(Compensating System)を考案
宮中で雅楽の演奏を担当する伶人(現在の宮内省式部職楽部)が欧州楽を伝習。編成は吹奏楽。雇教師はフェントン

1876年(明治9年)  チェルベニーが4名の息子と連携し、V.F.Cerveny & Sonsとなる。1880年には従業員が100名を越え、フランツ・ヨゼフ(Franz Joseph)皇帝の正式訪問の栄誉をうける
米国のコーン(Charles Gerard Conn, 1844-1931)が、ロンドンの金管楽器メーカーのヘンリーディスティンの元従業員で楽器製作者のデュポン(Eugene Victor Baptiste Dupont, 1832-1881)を招き、Conn & Dupontという名称でコルネットを製作
天長節で伶人が欧州楽(吹奏楽)を披露。「ヒー、フラット、イウツチニアン」を薗広憲が担当。

1877年(明治10年)   ジョン・ディスティンの二男、ヘンリー・ディスティン(1819 - 1903)、ニューヨークに移住。Henry Distin Manufacturing Co. として米国にて楽器の生産を行なう
大阪砲兵工廠でラッパの修理をしていた江名常三郎が明治10年代に江名製作所を経営する
宮内庁の西洋音楽教師フェントンが解雇される

1878年  ブージー社がコンペンセイティング・システムの特許を取得

1879年(明治12年)   海軍軍楽隊がドイツ人エッケルト(Franz Eckert, 1852-1916)を教官に招く。1899年(明治32年)に帰国
文部省に音楽取調掛が設置される。後の東京芸術大学

1880年(明治13年)ベッソン(besson)の創始者Gustave Auguste Besson(1820−1874)の娘が、Adolphe Fontaineと結婚し、フランスの楽器工場はFontaine-Bessonと呼ばれた。以降、フランス工場製は「F.Besson」英国工場製は「Besson」のロゴが使用される。

1882年(明治15年)   陸軍軍楽隊より2名の楽員が初めてフランスに留学(クラリネットとオーボエを専攻)
米国ミシガン州にてヨーク社(York)が創設

1882〜85年  チェルベニーがカイザー(皇帝)ファミリーと称したボアの太い楽器を製作。カイザーバリトン(Kaiserbaritone)と呼ばれるユーフォニアムが開発された。以来、ドイツの楽器製造業者によってこの楽器は製作されている。この楽器の形状はテューバのデザインに準じる事が一般的である。

1883年(明治16年) 鹿鳴館が竣工。舞踏会が開催される。伴奏は吹奏楽。陸軍・海軍軍楽隊と宮内省の楽隊が担当

1884年(明治17年)  江名常三郎、上野為吉らと大阪砲兵工廠において信号ラッパの試作を行なう

1885年 フランスのメーカー、ブッフェ・クランポン社は1885年から1926年の間、Paul Evette とErnest Schaeffer と経営を共にし、「Evette & Schaeffer」として1985年より1927年の間、オフィスをロンドンに置いた。「Evette & Schaeffer」の名称は1970年代に日本向けの木管楽器にリバイバルされた

1886年  東京市中音楽会が発足。民間の職業バンドの始まり。
海軍軍楽隊の楽器編成表からユーフォニオンの名称が消え、baritonに置き換わるが、1927年の編成表では再びユーフォニオンの名称に戻る。

1887年(明治20年)宮内庁楽部が西洋音楽教師としてエッケルトを雇う。

1888年  米国のギルモアバンド(Gilmore Band)の独奏者、ハリー・ホワイター(Harry Whitter)が、米国ではじめて5ヴァルブのユーフォニアム(ダブルベルユーフォニアム Double-bell Euponium)を使用した

1890年  ヘンリー・ディスティン、会社(Henry Distin Manufacturing Co.)の権利を手放し引退

1890年  東洋市中音楽会、翌91年に広目屋が発足

1892年(明治25年)  江川仙太郎が勤めていた陸軍兵器廠より独立

1893年(明治26年)  上野為吉、大阪で上野管楽器を創設

1894年(明治27年) 江川仙太郎が管楽器製作所を設立

1895年  チェルベニーが6,000本の金管楽器をロシア陸軍に供給

1896年(明治29年)  田辺楽器製作所が発足。海軍軍楽隊御用達
フランスのビュッフェ・クランポンBuffet Crampon 社が金管楽器の製造を開始

1896年-1903年  米国のシモニー・マンティア Simone Mantia (1873-1951) がスーザバンドのソリストとして活躍

1896-7年  リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864-1949)、「ドン・キホーテ」を作曲。tenor Wagner tubaのパート

1897-8年  リヒャルト・シュトラウス、「英雄の生涯」を作曲。初演の練習時に tenor Wagner tubaのパートをbarytonに楽器を変更

1899年(明治32年)宮内庁楽部が西洋音楽教師エッケルトを解任 

1901年 グラント・ジョーンズ(W.Grant Jones)作曲の「セリア」("Celia" for Euphonion)の出版楽譜が大英図書館に収蔵される

1905年(明治38年)  G.マーラー(Gustav Mahler)、交響曲第7番を作曲
橋本金次郎著「青年速成軍楽隊独案内」クラリネット、バリトン、打楽器の編成
日比谷公園音楽堂、公園奏楽が開始

1907年(明治40年)  江川仙太郎、他1名が製作した国産初の2種類のユーフォニアムが東京勧業博覧会に出品。「バリトン」「バス(小バス)」と呼ばれた楽器。「バリトン(Flicorno baritono)」は細管のユーフォニアム、「バス(小バスFlicorno basso)」は太管のユーフォニアムに相当

1908年(明治41年)   東京の共益商社(現銀座ヤマハ店)発行の輸入楽器カタログに「テナー」「バリトン」「バス(小バス)」と呼ばれる3種類の変ロ調の楽器が掲載される
田辺尚雄の著書『音響と音楽』文中において、『複口ユーフォニウムDouble Bell Euphonium』との記載

1909年(明治42年)  G.ホルスト(Gustav Holst)、吹奏楽のための組曲第1番を作曲
11才から15才までの少年を募集し、東京 三越少年音楽隊が発足。プログラムにユーホニオンの楽器名。学生洋楽運動の始まり

1911年(明治44年)  G.ホルスト、吹奏楽のための組曲第2番を作曲
名古屋 いとう呉服店(後の松坂屋)に少年音楽隊が設立

1914年(大正3年)  大阪 三越少年音楽隊が結成

1914年-16年   G.ホルスト、組曲「惑星」を作曲

1917年(大正6年)  国産の「バリトン」(ニッカンNO.1と後年呼ばれた楽器だと思われる)の販売が開始される

1920年(大正9年)   江川楽器製作所が「合資会社日本管楽器製造所」(ニッカン)に発展
海軍軍楽隊の佐藤倉平がサンフランシスコ経由の遠洋航海にて入手したCeliaの楽譜を日本に持ち帰る

1922年  M.ラベル(Joseph-Maurice Ravel)、M.ムソルグスキー(Modest Mussorgsky)作曲「展覧会の絵」を管弦楽に編曲

1923年(大正12年)  いずも屋少年音楽隊が設立

1924年(大正13年)  O.レスピーギ(Ottorino Respighi)、交響詩「ローマの松」を作曲
大阪 高島屋少年音楽隊が設立

1925年  いとうや呉服店が松坂屋少年音楽隊に改称
米国コーストガード音楽隊(The United States Coast Guard Band)が結成

1926年  大阪三越少年音楽隊が解散

1927年(昭和2年)  豊島園少年音楽隊が発足。
海軍軍楽隊の楽器編成表で、ユーフォニオンの楽器名が再び現れる。

1927-30年 ドミトリィ・ショスタコーヴィチ(Dmitrii Shostakovich, 1906-1975)、「黄金時代」を作曲。Baritono(Euphonium)のソロ

1928年(昭和3年)  ニッカンの製品が、東京博覧会において優良国産賞牌を授賞。この時のモデルがヤマハとの合併までのニッカンの製品の基本となる。アップライトベルのピストン式の楽器。

1930年  ブージー(Boosey)社、ホークス(Hawkes & Son)社を合併。ブージー&ホークス(Boosey & Hawkes)社となる

1930年〜32年 ショスタコーヴィチのオペラ、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」作曲、バンダにアルト、テナー、バリトンのパート

1934年(昭和9年)  東海吹奏楽連盟が発足
ショスタコーヴィチのオペラ、「ムツェンスク郡のマクベス夫人」初演
神奈川県警察音楽隊の前身的組織が発足。

1935年頃(昭和10年頃)  この頃よりニッカンが陸海軍軍楽隊に納入する楽器の製造を開始。「バリトン」を製造。欧米からの輸入が戦局により途絶え、イギリス式ベッソン社製品を使用していた海軍軍楽隊用の管楽器も遅れて国産化。

1937年(昭和12年)  ニッカンが組織を改革。「日本管楽器株式会社」となる
ニッカンが「バリトン」、「ユーフォニアム」(共に4本ピストン付き)を製造

1939年(昭和14年)  「東京喇叭工業組合」が設立される。日管、田辺、小椋、の各社が中心。
大日本吹奏楽連盟が結成

1940年(昭和15年)  ブージー&ホークス社がイギリスのベッソン社を買収。1851年にロンドンに建てられたベッソンの金管楽器工場は、この後1948年にブージー&ホークス社に所有者が変るまで楽器の生産を続けた
この年より敗戦(1945年)まで、ニッカン製品の会社名の刻印に漢字が用いられる

1941年〜1945年(昭和16年)  海軍軍楽隊で使用されていた英国製の楽器が、第二次大戦の開戦により国産化、当時枢軸国とされていたフランス製の楽器のコピーを使用。

1943年(昭和18年)  戦況の悪化で東海吹奏楽連盟が活動が停止
軍楽隊による日比谷公園音楽堂の公園奏楽が中止

1945年  第2次世界大戦の敗戦により旧日本陸海軍軍楽隊が終焉。多くの優秀な音楽隊員が復員し、民間の音楽活動に従事

1948年(昭和23年)  警視庁音楽隊が発隊
ブージー&ホークス社が、ベッソン・ブランドを獲得

1949年  旧海軍軍楽隊のメンバーを主体に23名で東京消防庁音楽隊が発足

1950年  スイスのウイルソン(Willson)社が創業

1951年(昭和26年)  海上保安庁音楽隊が旧海軍軍楽隊員を中心に発足。翌52年には海上警備隊に移管。海上自衛隊東京音楽隊の前身。海上保安庁音楽隊は1988年に再結成
日管(ニッカン)が警察予備隊に楽器を納入。戦前の楽器を改良したバリトン、ユーフォニアム(小バス)

1954年(昭和29年)  東海吹奏楽連盟が再発足。
海上自衛隊音楽隊が発足、1956年に海上自衛隊東京音楽隊の名称となる。

1955年(昭和30年)  ウイルソン社がユーフォニアムの製作を開始
田辺楽器製作所が倒産

1960年代  米国にてダブルベルユーフォニアムが廃れ、1960年代に楽器の製造・発売を終了

1961年  石崎一夫、ユーフォニアム・ソロのラジオ放送を行う。曲目はセリア(Jones,W.Grant."Celia")。東京芸術大学吹奏楽団定期演奏会でのライブ

1962年  石崎一夫が東京芸術大学で始めてのユーフォニアム専攻生として卒業。日本の民間人として初のユーフォニアムの専門家が登場した

1963年(昭和38年)東京芸大が日本で初めて補正システムのユーフォニアムを導入。

1963年頃 ニッカンの「ユーホニウム」で「エントツ」との愛称で呼ばれたモデルがこの頃製造される。ヤマハとの合併時に「EP-101」と呼ばれた。

1965年位 米国インディアナ大学のベル教授(William J.Bell)(〜71)がユーフォニアム・テューバ・アンサンブルを演奏

1965年  ヤマハ(日本楽器製造株式会社)がニッカン(日本管楽器株式会社)を吸収合併。 三浦徹 日本の個人として補正システムのユーフォニアムを初購入

1966年  米国のWarner Hutchison (Denver, Cololado, 1930-)が「Sonatina for baritone with piano」を作曲

1967年  テューバ奏者のウインストン・モーリス(Winston Morris)が米国テネシー工科大学音楽学部の約30名のユーフォニアム・テューバの学生の為にアンサンブルを結成。今日のユーフォニアム・テューバアンサンブルの原形になる。作曲家のクライナード(Fred L. Clinard, Jr.)がこの団体より作曲家として、プログラムの充実に寄与する
ニッカン(Nikkan)ブランドの「インペリアルユーホニウムEP-1」発売。原形はベッソン。開発協力者は石崎一夫。並列4ヴァルブ。ヤマハブランドで1970年に「EP-321(現YEP-321)」として発売開始、銀メッキ仕上げは1972年に発売開始。ベストセラーとなる

1969年  G.ジェイコブ(Gordon Jacob, 1895-1984)が「Fantasia for Euphonium and Concert Band」を作曲

1970年  ヤマハYEP201(並列3本ピストン)が発売開始。ニッカンブランドのEP-101は生産が終了。EP-1はEP321(現YEP-321)に名称を変更。

1972年  J.ホロヴィッツ(Joseph Horovitz)により「ユーフォニアム協奏曲(Concerto for euphonium and brass band)」が作曲される
ヤマハYEP-321に銀メッキ仕上げが追加発売。YEP-321Sの登場

1973年  米国において、世界テューバ協会(Tubists Universal Brotherhood Association = T.U.B.A.) が結成され、カンファレンス(International Tuba Euphonium Conference = ITEC)が行われた。

1974年  三浦徹が米国留学より帰国
ブージー社(Boosey)が取得していた、コンペンセイティング・システム(ブージー・オートマティック・システム)の特許が消滅

1975年  日本で始めての本格的なユーフォニアム・テューバ・アンサンブル「東京バリ・テューバアンサンブル」が三浦徹(ユーフォニアム)、安元弘行(テューバ)を中心として結成された

1976年  米国のリッチ・マティソン(Rich Matteson, ユーフォニアム)、ハーヴィー・フィリップス(Harvey Phillips, テューバ)による始めてのジャズグループが結成。スイス、モントルーの第1回国際ブラスコングレスにて発表。The Matteson-Phillips Tuba Jazz Consort。マティソンはヤマハYEP-321を使用
米国のユーフォニアム奏者、ブライアン・ボーマン(Brian Bowman)がカーネギーホールでユーフォニアム奏者として初のリサイタルを行う。同氏は、スイスのメーカーのウイルソン社の監修(設計)を担当し、同社の米国向け製品をバリトンホーンからユーフォニアムに変更(製造を開始)した。TA2900コンペンセイティング方式のユーフォニアム
三浦徹、日本のユーフォニアム奏者として初のソロ曲をレコーディング。ゴードン・ジェイコブ(Gordon Jacob)作曲/ファンタジア(Fantasia) −「吹奏楽コンクール自由曲集 '76 (Contest Band Music Selections '76) 」(CBSソニー22AG3)
米国ヨーク社(York)が生産を終了。米国の工場跡地をヤマハ・アメリカが取得したが、2006年に撤退。

1977年  米国のJan Bach(Forrest, IL, 1937-)が「Concert Variations for Euphonium and Piano」を作曲

1978年  三浦徹、東京佼成ウインド・オーケストラの正団員に就任

1982年  新大久保の楽器店ダクに勤務する日本人の技術者井上歩が主管にトリガーを取り付けた。平成3年には延び縮みが可能なチューニングのネジに関する実用新案が認められる。山本訓久のベッソンに搭載。同氏は1983年のワシントンDCのメリーランド大学で開催されたカンファレンス(ITEC)でこの楽器を使用した

1983年  音大卒業生によるユーフォニアムデビューコンサートが東京で始まる
レイモンド・ヤング(Raymond Young)氏初来日

1984年  ヤマハがYEP641の生産を開始(1995年に終了)
ブライアン・ボーマン(Brian Bowman)博士初来日

1985年  日本ユーフォニアム・テューバ協会が発足 初代理事長 安元弘行

1986年  国際ファルコーニ・コンクール(ユーフォニアム部門)が初開催
世界テューバ協会テキサス大会(ITEC)にて行われた国際コンクールで、深石宗太郎が日本人として初入賞(第2位)
日本管打楽器コンクール(ユーフォニアム部門)が初開催され、優勝者はオーケストラの伴奏により演奏を披露する機会が与えられた。結果は1位なし、2位ルイス・マルドナド(Luis Mardonado)、3位深石宗太郎・露木薫。演奏曲目はJ.ホロヴィッツ作曲のユーフォニアム協奏曲
ベッソンの技術者、長島智宏が中心となり、同ブランドのピストンの改良が始まる。ノイズの低減(1986年に樹脂製のガイドを製作、翌87年から標準装備)、フェルトの開発(1989年)、ボトムキャップのダンバー装着(1994年)等の成果
ヤマハの製品のバルブの爪(バルブガイド)が金属製からプラスティックに変更

1987年  国際ファルコーニ・コンクールに日本人として、深石宗太郎が初入賞(第3位)
山本訓久、日本のユーフォニアム奏者としてCDにソロ演奏を初収録。曲目は「ケンタッキーの我が家変奏曲、学生王子のセレナード」

1988年(昭和63年)  海上保安庁音楽隊が再結成、以来、稲垣征夫が技術指導・指揮を行なう

1989年 東京佼成ウインドオーケストラ欧州演奏旅行にて三浦徹、深石宗太郎がロンドンのベッソン工場を訪問

1990年  三浦徹 日本のユーフォニアム奏者として初のCDアルバム「管楽器ソロ名曲集ユーフォニアム」をリリース
札幌にて、世界テューバ協会のカンファレンス(ITEC)が行われる。札幌交響楽団のテューバ奏者、香川千楯がホスト役を務める
Jan Bachが「ユーフォニアム協奏曲(Euphonium Concerto)」を作曲

1991年  日本で始めての本格的なユーフォニアム・アンサンブル「ユーフォニアム・カムパニー」三浦徹が中心となり結成

1992年  アマチュアのメンバーを中心に広くメンバーを募った一般団体「横浜ユーフォニアム合奏団」渡辺雪江が中心となり発足。93年に初の演奏会

1994年  山岡潤が米国留学より帰国。リッチ・マティソンに師事し、ジャズ・ユーフォニアムを学んだ初めての日本人

1995年  ヤマハがYEP641の後継器、YEP642の生産を開始
マーティン・エレビー(Martin Ellerby, 1957- )「Euphonium Concerto」を作曲

1996年  P.ウィルビー(Philip Wilby, 1949- )「Concerto for Euphonium」(Rosehill Music)を作曲
J.リンコラ(Jukka Linkola, 1955-)が「Euphonium Concerto」を作曲

1997年  外囿祥一郎、英国の「Euphonium player of the year」(その年にイギリスで最も活躍したユーフォニアム奏者に送られる賞)に日本人として初めて選ばれる

1998年  E.ラウム(Elizabeth Raum, 1945- )「Concerto del Garda for euphonium (TUBA) and orchestra」

1999年  主管にトリガーを標準装備したユーフォニアム(プレステージュ・モデル)がベッソン社から発売
E.ラウム「Pershing Concerto for euphonium (Tuba) and band (orchestra)」

2001年  ヤマハがYEP842Sの生産を開始。また、バルブの爪(バルブガイド)が衝撃で折れにくいよう、プラスティックに金属の板を埋め込む2層構造を採用

2002年  日本ジュニア管打楽器コンクールにおいて、ユーフォニアム部門(小・中学生コース、高校生コース)が初開催

2003年  ブージー・アンド・ホークス・グループが、ザ・ミュージックグループとして再編
英国のスティーブン・ミード(Steven Mead)日本の音楽大学で初のユーフォニアムの客員教授として、洗足学園音楽大学に就任

2004年  外囿祥一郎、東京芸術大学初のユーフォニアムの講師に就任
米国のJohn Stevens (1951- ) が、Euphonium Concerto (Editions Bim)を作曲

2005年  三浦徹、国立音楽大学在職30周年記念演奏会が開催される
講師として伊東明彦が招かれ、台湾において初のユーフォニアム・キャンプが行われる
英国のディビット・チャイルズ(David Childs)が初来日
伊藤康英(1960- )が「Euphonium Concerto」を作曲
ビュッフェ・クランポン・グループがベッソン・ブランドを獲得
ファンファーレオルケストの継続的な演奏活動を洗足学園音楽大学が開始

2006年   フランスのビュッフェ・クランポンBuffet Crampon 社がベッソン、クルトアの両ブランドを引き継ぐ 
伊東明彦、台湾における日本人初のユーフォニアムの大学講師として、東海(Tunghai - トンハイ)大学に就任
フィンランドのユッカ・ミュリュス(Jukka Myllys)が初来日
深石宗太郎がギリシャの音楽史上初のユーフォニアム・リサイタルをコルフ島にて開催

2007年  イスラエル出身のエラン・レビ(Eran Levi)が初来日
三浦徹、東京佼成ウインド・オーケストラを退団。国立音楽大学教授に就任

2008年  ヨークブランド(York)のユーフォニアム、「エミネンスとプレファレンス」の2モデルが日本に輸入・発売される
米国コーストガード音楽隊初来日。Bonnie Denton がユーフォニアムパートを担当

2012年 ベルギーのグレン・ヴァン=ローイ(Glenn Van Looy)が初来日

(敬称略、当時の名称を使用)


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更新歴

記事の追加
2012年3月18日
1965年 三浦徹 日本の個人として補正システムのユーフォニアムを初購入
1989年 東京佼成ウインドオーケストラ欧州演奏旅行にて三浦徹、深石宗太郎がロンドンのベッソン工場を訪問

2012年4月5日
1905年 日比谷公園音楽堂、公園奏楽が開始
1943年 軍楽隊による日比谷公園音楽堂の公園奏楽が中止

2012年4月8日
2005年 ファンファーレオルケストの継続的な演奏活動を洗足学園音楽大学が開始

2012年4月15日
2012年 ベルギーのグレン・ヴァン=ローイが初来日
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